眼鏡と鶴


それはある日曜の昼下がりのこと。天気は曇り、窓の向こうには分厚い灰色の雲が群れをなしている。雲一つ一つは重く垂れ下がっていて、見る者に雨を予感させるようだ。

リビングの真ん中に置かれた背の低いテーブルの周りで、三人のシンガー達が思い思いの位置に座っている。彼らは角ばった銀フレームの眼鏡、黒縁眼鏡、片眼鏡と、例外なく眼鏡をかけている。
執事服を着た片眼鏡の者はちょこんと正座して、手際よく折り紙を折っている。黒縁眼鏡をかけた男は片眼鏡の者の正面に座っている。室内でも帽子を被っているが、咎める者はいないようだ。テーブルの最奥、窓を背に座っているのは角ばった銀フレームの眼鏡をかけた黒スーツの男だ。何も喋らず、無表情で本を読んでいる様は機械的でもある。
「なあタヤぁー暇なんだけど」
 退屈そうに、黒縁眼鏡の男――餡知モンは折り紙を折る片眼鏡の者に声をかける。
「じゃあ一緒に折り紙でも折ります?」
 タヤと呼ばれた片眼鏡は、桃色の折り紙で折った鶴をモンの目の前に差し出して言った。女性のような顔立ちで優しく微笑みを浮かべているが、モンは苦手な果物を目の前に差し出されたかという程に大袈裟に顔を顰めた。
「えー……俺、折り紙苦手なんだけど」
「あら、そうなんですか?」
意外そうに聞いてくる様子に、モンは一層苦々しい顔をして首を横に振った。
「ああ。昔っからできねえんだよ!」
「鶴とか簡単じゃないですか?」
「マジで?鶴とか難しすぎるんだけど」
 タヤは一瞬きょとんとした様子でモンを見つめたかと思うと、ニヤリとした笑いを見せた。
「モンさん鶴折れないんですかぁ?」
「な、なんだその顔は!折れねえって言ってるだろ!だからそんな顔をするなっ!」
「しっしっ」と手で追いやる動作をして視線をタヤからそらす。その顔は赤くなっている。タヤは構わずにニヤニヤしながら「おっかしいですねえ」とぼやく。
「鶴なんて誰だって折れますよね?ねえ、イモコさん?」
イモコと呼ばれた角ばったフレームの眼鏡をかけた男は、手元の本に向けていた視線をのっそりとタヤに合わせる。表情は相変わらず無いに等しい。
「いや、俺も折れない」
「えええええ!?マジで!?」
「ええ!?イモコさんも折れないんですか」

淡々と告げられた事実に対し、二人は目を見開いて心から驚いているようである。
「意外だ……ってことはなんだ!仲間か!」
モンは驚きつつも、イモコが鶴を折れないというのが嬉しいのかニヤリと笑っていた。
「モンに仲間呼ばわりされるのは心外だ」
「んだと!?」
イモコは溜息混じりで言った。モンは額に血管を浮かせて食ってかかる。
「鶴ってそんな難しいものですかねー?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を余所に、タヤは手元の鶴を見つめて不思議そうに首をかしげた。しかし、鶴は特に何も語らなかった。
「じゃあ、イモコさん鶴折りますか?紙もいっぱいありますし」
そう言ってタヤは、イモコの髪の色と同じのオレンジ色の折り紙を差し出す。イモコはそれを無言で受け取り、何処か懐かしげに見つめる。
「鶴折るのは久々だな……」
「鶴って難しいんだよなあ」
蚊帳の外のモンはつまらなさそうに、タヤの折った桃色の鶴を人差し指で軽くつつく。鶴は呆気なく横に倒れた。
「じゃあ、最初に紙を半分にー……ってもう折ってる!?」
鶴を折れないと言ったはずのイモコがタヤの説明を聞かずに黙々と折り紙を折っていた。四角形に折って端の部分を谷折りしているその手つきは正確で、迷いが無いようである。タヤは、鳩が豆鉄砲を食らったように呆けた表情を向けるが、イモコは眉ひとつ動かさないで言葉を淡々と紡ぐ。その間にも手は止まらず、着々と鶴が折られてゆく。
「俺は、鶴の折り方は分かる」
「へ?」
タヤは勿論、モンも訳が分からなくなった。
「ど、どういうことだよ!?折れないって言ったろ!?」
「ああ、言った」
淡々と返答しつつも、やはり彼の鶴を折る手は止まらない。作業する手は意外と早く、ひし形のような形状になった紙の端を内側に折り込んでいる。
「じゃあ何で折れないんですか?」
イモコは眉間に皺を寄せ、視線をそらして溜息をついた。
「俺は鶴の折り方が分からないから折れないんじゃない。寧ろ分かっているのに折れた試しがない」
「やり方を何処か間違えて覚えているってことは……」
「ない」
おそるおそると言った様子で投げかけられた質問をピシャリと断ち切った。タヤは「うーん」と唸りながら、右手で口元をおさえて何かを考えるような素振りをした。しかし、何も分からなかった。
「折り方が分かるのに折れない?ちょ、待って。マジでどういうことなんだ?」
モンは、イモコの折っているものと折り紙のビニールに入っていたらしい鶴の折り方を図解した紙を交互に睨みつける。何度も見たが、イモコの折っているものは何処からどう見ても鶴の折り方の通りで、間違っている箇所は見当たらない。
四つの瞳が、紙を折るイモコの手に穴を空けるかのように真っすぐ注がれる。しかし、当の本人は別段気にする訳でもなく鶴の羽を折る。やはり、何処も間違ってはいないのでますます折れないということが不可解である。そして、鶴の頭を折り曲げた。
「出来た」
何の感慨もなさそうにそれだけ淡々と言うと、彼は自らの手で折ったオレンジの鶴をテーブルの上にそっと置いた。それを一目見ただけでは何もおかしいところが無いように見える。それでも、肝心のイモコは普段通りに無表情だ。達成感のような感情を一ミリも見いだすことは出来ない。
「なんだよイモコ折れるじゃん」
がっかりしたようにモンが言う。タヤも倣って「折れたじゃないですか」と言おうと口を開こうとした――が、それは「ん?」という疑念の言葉に化ける。
「……んん?待って下さい!なんかおかしいです!」
「ええ?」
タヤがオレンジ色の鶴を訝しそうに見つめる。まるで、間違い探しの間違いを探しているかのような表情である。対するモンは、鶴に起こっている異変が何の事か分からずタヤを不思議そうに眺めている。
「俺には普通の鶴に見えるけどな」
その言葉を聞いたタヤは、信じられないといった表情でモンの顔を見る。
「モンさん、本当に分からないんですか?」
「……わかんねえ」
モンは、身に覚えの無い事件で尋問されている時のような唐突で釈然としない気分を味わった。タヤは見兼ねたように首を横に二度振り、オレンジの鶴の違和感を指差した。
「見て下さいよ、この鶴……足生えてますよ!」
イモコの折った鶴は、細い二本の足で堂々と立っていた。しかも蟹股である。
「ええ?足?…………うわあああ本当だ!足が生えてる!なんでだ!?」
一歩遅れて足の存在に気付いたモンが悲鳴を上げてのけぞる。あまりに大袈裟にのけぞったので、勢い余って後ろに転がり、背中が床に着いた。
「すげえ堂々と立ってるから気づかなかったぜ……マジで」
 仰向けに倒れたまま、モンが恐ろしげに呟いた。
「ええ、私も騙されるところでしたよ……」
相槌を打つタヤの顔は蒼い。二人が足の生えた鶴に慄く中、折った張本人のイモコだけは小さく首を傾げ、「またか」と呟いた。
「イモコさん、まさかとは思いますが……カッターとか使っていませんよね?」
「ああ。使っていないが?」
実際にテーブルの上には、紙を切るための鋏やカッター等の刃物も無ければ、使いようでは折った紙を切ることの出来る定規も置かれていない。あるのは折り紙ばかりだ。因みに、足の生えた鶴は尾となる部分を鋏で切って足にすることで出来る。しかし、イモコがそのような手順を踏んで折っていないので妙である。まるで、勝手に鶴の足が生えてきたかのようだ。
タヤは混乱で停止しそうな脳を必死で働かせる。そして、一瞬電流が走ったかのような衝撃で目を大きく見開いたかと思えば、わなわなと唇を震わせながら鶴を指差した。
「も、もしかして……鶴を折れないっていうのは……」
内容を言っていいものなのか迷った様子でタヤは、仰向けの状態から起き上がっていたモンの顔を見る。モンは、タヤの言いたいことを察したのか、無言で頷いた。その顔もまた青ざめていた。
「こうなるってことですかイモコさん!?」
「ああ」
 そう応える声こそ平坦ではあるが、眉間に皺をよせて複雑そうな顔をしている。
「昔からそうなんだ。作り方の通りに鶴を折ろうとすると、違うものになる」
 そう言って足の生えた鶴を指差した。
「だから折れないと……?」
イモコは無言で頷いた。
「い、今のはたまたまですよ!そうですよねモンさん!?」
「お……おう!」
二人は努めて明るくイモコをフォローしようとするが、その笑顔は強張っている。
「もう一回折ってみて下さい。今度はゆっくりで!」
「別に構わないが」
イモコはそう言って、机上で花のように広がる折り紙の中から臙脂色のものを手に取った。

「よーし」
別に自分が折るわけでもないのに、モンは気合いを入れるように声を発した。そしてタヤと共に、イモコの手元をじっと覗きこむ。彼は先のものよりはゆっくり折っているものの、それでも手つきは淀みなく流れるようである。
「まず半分に折ってーまた半分ー」
「開いて四角にして……お、合ってる合ってる」
「これを開いて。ああ、この時点ではまだ普通ですねえ」
「お、これ羽っぽくね?」
無言のイモコを余所に、タヤとモンは好き勝手に現状を呟く。まるで実況だ。常に平常心と思われているイモコでも流石に集中出来ないのか、少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……そんなに実況されるとやりにくい」
一瞬だけ鶴を折る手を止め、ポツリと抗議の声をあげる。今まで何があっても手を途中で止めなかったからなのか、二人にはひどく効いたようである。一瞬ギクリと大袈裟に驚いた様子を見せたと思えば、みるみるうちに花が萎れるように落ち込んだのだ。
「すみません」
「悪い」
二人は申し訳なさそうに謝る。直後、無言になった。しかし、イモコは四つの瞳に見つめられたままである。
「む」
それでも、かたく口を結んで頷いて再び鶴を折り始める。真っすぐに手元を見つめる四つの瞳がイモコを射抜くようだ。実際、イモコは窮屈さと同時にやりにくさを覚えたが、鉄面皮の如き顔には全く現さない。そんなイモコの胸中を知ってか知らずか、タヤとモンは無言でただただ手元を覗きこんでくる。

沈黙が居間を支配する中で黙々と折り続けて数分、イモコは「出来た」と呟いて臙脂の鶴をテーブルの上にちょこんと乗せた。モンは待ってましたとばかりに目を輝かせ、鶴を手に取り、まじまじと見つめる。綺麗に折りあげられているのを満足げに見ていたがしかし。
「お、今度こそ鶴になって……なりきれてねええええ!!」
モンの絶叫が部屋にこだまする。
「何だ?」
うるさそうに、耳を指で押さえながらイモコが聞く。モンはとんでもないものを見たような顔でイモコの肩を掴み、ゆさぶりかけた。
「なんで!?なんで作り方合ってるのに足生えるの!?」
「足など折っていないが」
ガクガクと揺さぶられながらも、イモコは至って普通に応えた。しれっと無表情で言う彼の目は嘘の欠片も無く、事実だと強く証明している。
「よく見ろ!生えてるだろ!」
モンは強烈な揺さぶりからイモコを解放した。いきなり解放されたイモコは、頭の中がかき混ぜられたような錯覚を覚えた。そして、モンは臙脂の鶴をイモコの眼前につきつける。モンの言うとおり、模範通りに折られた筈の鶴には足が生えていた。しかも、最初から生えていたかのように自然に生えている。今度は走っているような足つきだ。折った張本人は、それを十秒ほど無言で見つめた。
「どうして足が生えてるんだ?」
十秒の沈黙ののち、イモコはしれっとそう言った。
「俺が聞きてえよ!」
「私が聞きたいですって!」
ほぼ同時にツッコミを入れたので声が重なって響いた。タヤとモンは目の前の人物が起こす異変を前に、思わず古い喜劇のように腰が砕けそうになった。
「なあタヤ、別に折り方は間違っちゃいなかったよなあ?」
モンは本当に自分が正しいのか分からなくなったのか、プルプルと引きつった笑いを顔に貼り付けてタヤに問いかける。
「え、ええ!足なんて全く折ってませんでしたよ!?」
フォローするタヤの笑顔は最大級に引きつっていた。震えで見開かれた目にはうっすら涙さえ浮かんでいる。イモコは戦慄するモンとタヤを交互に見やったかと思えば、不思議そうに首を傾げた。
「もう一回折るか?」
「ええ、折って下さい」

タヤは今度は白い折り紙を手渡した。受け取ったイモコは、すぐに鶴を折り始める。やはり迷いのない手つきで正確に折られていく。そして、これが三羽目だからであろうか。折る速度も増している。
「出来た」
ものの数分で鶴を折り上げて、タヤの手のひらにポンと乗せてみせる。
「うわぁ……イモコさん、足生えてます」
タヤの手のひらの上で白い折り鶴が直立していた。もはや慣れてきたのか、タヤは足の生えた鶴を見ても大袈裟に驚かなくなった。しかし、代わりに溜息を吐きだす。
「またか」
眉間に少しだけ皺をよせて言った。
「もう一回折ってみる」

今度は自らテーブルの上から藍色の折り紙を手に取って折り始める。モンとタヤはイモコの周囲を歩きまわってあらゆる角度から手元を見つめる。別に異状は無いのだが、何もおかしな点が無いだけにイモコの折り鶴が不可解なのである。
「なんか手品の種を探しているみたいですね」
タヤがイモコの斜め後ろの位置から言った。その顔つきは渋く、怪事件を推理する探偵のようだ。
「あ、分かる!」
イモコの正面からグイッと手元を覗きこみながらモンが声を弾ませて同意する。
「俺は手品師ではない」
イモコがボソッと釘を刺す。
「はは、分かってますって。言葉のあやですよお」
「そうそう!手品じゃないから逆にすげえんだって!」
タヤとモンは軽く笑って流した。そして、それぞれが両脇に立って鶴の完成を見守った。
「お、今度こそ行けるか?」
二人は折り鶴を覗きこむ。鶴はもう、羽を広げて頭を折れば完成という所であった。尾も足にならず、きちんとついている。
「……ここでやめよう」
イモコは羽を広げずに、閉じたままの鶴を天板に置く。
「え、なんでですか!?」
「マジで!?」
 二人は驚愕した。
「昔から何度やっても出来なかったんだ。これから先も多分鶴が折れる日は来ないんだろう」
 イモコは文章を読むように淡々と、しかし何処か残念そうに言葉を紡ぐ。
「イモコ……」
一瞬、沈んだ空気が空間に満ちる。誰も何も言わないままに時が過ぎ去るかと思われたその時であった。
「そこで諦めちゃダメですよ!折角折ったんですから鶴完成させましょうよ!」
タヤの力強い声が重くなりつつあった空気を破る。
「ここで羽を開いたら足が生えるとしてもか?」
「足が生えると思うからダメなんですよ!」
いつになく熱い調子で訴えかける。黙って聞いていたモンも「そうだよ!」と同調する。
「折角ここまで来たんだぜ!?ここで怖がるなよ!開け、開くんだイモコ!」
モンはタヤ以上に熱くなっていた。タヤとイモコは思わず「うわぁ……」と声を漏らす。その目は酷いものを見たかのように冷ややかである。
「な、なんだよお!!」
モンの顔が急速に真っ赤になった。タヤは「ふふっ」と小さく笑う。
「なんだよ!」
「何も言ってませんよ、誰もモンさんが暑苦しいって言ってませんから大丈夫ですよ」
「今言ってんだろ!」
「これはノーカウントでしょう普通は」
騒ぐ二人を余所に、イモコは折りかけの藍の鶴を手で弄ぶ。閉じられたままの鶴は、羽が開かれるのを今か今かと待ちかねている。
「…………折角ここまで、か」
イモコは閉じたままの鶴を目の前にかざす。何に気付いたのか、眉をピクリと動かしてそろりと振りむく。
「……そういえばさっきからお前らは気持ち悪がっているが、そんなに変なのか?足が生えた鶴」
「鶴」と言いきるか言いきらないかと言う所でモンが「変っていうか!」と割って入る。
「そ、そりゃ足の生えた鶴も変だけどさあ……それよりもイモコの手がこええよ!」
モンは、閉じたままの鶴を持ったイモコの右手を指差して言った。タヤも無言で「うんうん」と言うように強く頷く。イモコは鶴をそっと置いて、自分の手を見つめる。
「俺の手が?」
イモコは訝しげに聞き返して、もう一度自分の手を見つめる。人の形をした何かであるとはいえ、人間と比べても全く違いの無いごく普通の青年の手だ。
「俺の手に変な力とかそんなものは宿っていないが」
モンが「えぇ!?」と声をあげ、ばっと素早くイモコの手を見る。
「いやいやいや!?もう普通の手って次元じゃねえよ!」
「じゃあなんだ」
「へっ?」
熱を上げたモンに対して冷ややかにイモコが返すと、モンは間の抜けた声を発して急速冷凍されたように、みるみる大人しくなった。
「何って……なんだろうな……なあ、何?」
「私に聞かれても知りませんよ」
いきなり答えを求められたタヤは困ったような声で返した。
「もう開きましょう?開かないと進みませんよ」
「そうか」
イモコは閉じたままの鶴をもう一度手に取る。

「もし開けないんなら俺が代わりに開くぞ」
モンはサッと右手を差し出す。
「モンさん作り方知らなかったでしょうに」
「う、うるせえな!」
ニヤリと笑って水を差すタヤに、モンは顔を赤くして言い返す。だが、右手はそのまま差し出されている。
「じゃあ、開くか?」
イモコは白い鶴をモンの手に乗せようとする……が、鶴がモンの手のひらに触れそうなところにまで近づいたところでヒョイと自らの目の前に戻した。
「え?開かないの?」
目の前で鶴を戻されたモンは面食らった。
「ああ、やはり自分で開くべきなんだろうな」
「そうですよ、やっぱり自分で完成させてこそ意味があるんですよ!」
「ああ、そう」
イモコは鶴如きでそんな大袈裟な、と言いかけたが言葉を胸のうちに仕舞いこむ。そして、両の羽をつまんでパッと開いた。
「おっ!きちんと鶴になってる!」
鶴は足が生えないで、手本通りの鶴のようになっている。後は片方の突起を頭のように折り曲げるだけだ。
「でも、まだ頭がある」
「そこ折ればいいじゃん、もうそれで終わりなんだろ?」
「そうですよ、折りましょうよお!」
「はあ」
三人の視線が鶴の羽の間から伸びる二本の突起に注がれる。突起は頭を作ってほしいと訴えかけるようにピンと伸びている。

今まさに完成しようとしている折り鶴を見た瞬間、イモコの脳裏に様々な記憶がよぎった。幼い頃にコハナと一緒に折り紙を折った時のこと、千羽鶴を作ることになるも一人だけ鶴を正しく作れなかったこと、そしてからかわれたこと、たびたび鶴を折ってみては足が生えてきたこと、そしてタヤに誘われて折った現在――彼は次々と躍り出る過去を封じ込め、いつも無に近い心を更に無にするように目を閉じる。そして、一本の突起に手を伸ばして折り曲げ、頭を作った。

「よーし完成だ!!」
脇から見ていたモンが声を上げた。彼が作った訳ではないのに自分のことのように嬉しそうである。
「やりましたねイモコさん!」
タヤもとても嬉しそうである。晴れやかな笑顔をイモコに向けた。
「やったというのか?」
イモコは事も無げに、手の中に居る藍色の折り鶴を見る。足が何処にも生えていない、きれいに折られた模範通りの鶴だ。モンとタヤはイモコの両脇から、足が何処にも無いことを確認して胸をなで下ろした。
「しっかし、何で足が生えてきたんだろうな?」
「さあな」
「でも、折れたからいいじゃないですか」
三人はしみじみと感慨に耽った。
「本当に長かった……」
そう言いながら鶴をテーブルに置いたその時。
「あ!?」
「え」
イモコの折った鶴がテーブルの上から飛び上がったのだ。自分の意思を持っているかのように部屋中を飛び回る鶴を眼前にタヤの表情は一瞬にして凍りついた。モンは即座に窓を確認したが、窓は閉まったままで風の吹きようが何処にも無かった。そして、鶴は一周彼らの目の前を旋回したかと思えば、部屋から飛び出して何処かへ行ってしまった。
「……鶴が飛んだ」
モンはポカンとした表情で呟いた。あまりにも酷く驚いたのか、彼のトレードマークの帽子を取っている。
「イモコさん、もう鶴が折れないとかいう次元じゃありませんよ……才能じゃないですかこれ……」
「そうなのか?」
おそるおそる口を開いたタヤに対し、イモコはいつも通り冷静なのか、実は内心驚いているのか判断しがたい無表情で聞き返す。
「そうですよ、普通紙で折った鶴が飛びませんって」
そう言ったきり、部屋に何度目かの沈黙が訪れる。静寂の中、イモコは黄色い折り紙を新たに手に取る。
「……もう一回折る」
平坦に呟いて再び折り始めた。

イモコはまた新たに鶴を折り始めたが、やはり最初から生えていたかのように足が生えた。それを見てもイモコは何も言わず、緑色の折り紙を手に取ってまた折るがその鶴にもまた蟹股の足が生えた。
「何でそうなるんだ!?」
モンはテーブルに並ぶ足の生えた鶴達を見て愕然とした。
「さあ?」
そう言っている間にもイモコは黒い折り紙で鶴を折っていた。
「足が生えないように念じればいいんじゃないでしょうか?」
タヤがぱっと顔を明るくして提案した。モンは「そうか!」と声を上げて手をパンと打ち合わせた。
「念じる、ねえ」
イモコは言われるままに鶴に念を送ってみた。足の生えていない普通の鶴を頭に描きながら鶴を折り進める。しかし、頭を折った後に鶴を見たら立派な足が生えていた。それから暫くの間、イモコは何度も鶴を折ったが色とりどりの足の生えた鶴が量産されるだけだった。
「ダメか……」
「どうしたことでしょうねえ……」
モンは帽子を勢いよく脱ぎ、タヤは額を手で押さえて残念そうなポーズを取った。何故か、折った本人以上に悔しそうである。テーブルの上に並んだ色とりどりの鶴たちは、そんな彼らの気持ちを知る筈もなく威風堂々と立っている。折った筈がないのに立派に生えている二本の足は今にも飛び立ちそうだ。
「ひゅー、すげえ絵面」
鶴の集団を見てモンが言った。茶化すように言っているが、顔は複雑そうだ。
「そうですね……おや?」
タヤはモンの言葉に同意しつつ、何気なく時計に目を向けた。時計の針はちょうど三時を指していた。
「もうこんな時間ですか」
あっさりとその言葉を口にした途端、急激に恥の自覚が塊となって三人の胸へ雪崩れ込んだ。
「何故俺は鶴でここまで……」
イモコは苦痛そうに、顔を手で押さえる。溜息と一緒に「俺としたことが」と吐きだしたのをタヤとモンは聞き逃さなかった。そして、それは追い打ちとなった。
「そ、そうですね……」
「ああ……そうだな……」
イモコに釣られるように、急に恥ずかしくなって勢いよく蹲る。二人とも恥で耳まで真っ赤である。
「俺達何やってたんだろうな……」
三人ともその場で項垂れる。しかし、現実は彼らをゆっくり項垂れさせなかった。

「そこの眼鏡の皆さーん、仕事があるので部屋に来てくれってマスターが――」
気の抜けた声を出しながら、黄色いパーカーを着た少女が部屋へ入って来た。彼女の名前は十里スガリ、三人と同じ様に眼鏡をかけている。
「げっ、何ですかそれ」
気持ち悪げに言うスガリの視線はテーブルの上の足の生えた鶴達に向いていた。
「おいおい、それが何って……」
モンは苦笑しながら鶴の集団、そしてタヤとイモコの顔を見比べた。タヤとイモコも互いの顔を見た。
「何ってそれは」
「それが何かって言われたら……」
皆が言葉に詰まったのか、沈黙が部屋の中に満ちた。
「鶴、だよな……?」
「鶴……ですよね?」
「鶴だろう」
三人がそう言ったのは図らずとも同じタイミングだった。一人だけ何がこの部屋で行われていたのかを知らないスガリが信じられないという顔で「どうしてこうなったんですか」と呟くだけであった。

余談ではあるが、三人の目の前から飛び去った藍色の折り鶴は家中を巡り巡って台所の窓から飛び出していったという。その姿はまるで本物の鳥のようだった、とのちに転寝あきらは語った。













眼鏡と飴


釣歌音ソウは上機嫌であった。彼の右手には白い棒に球体が付いているような飴が握られていた。球体には、赤地に黄色と赤を基調とした可愛らしいロゴの描かれたビニールが被せられている。
「とっておきの苺味ーっと」
押し殺せない嬉しさに、ソウは思わず適当な節をつけて口ずさんだ。彼の好きな銘柄の飴の中でも、苺味が特に好きなのだ。
「全く、いっつもアイツに取られるからなー」
そう悔しげに呟くソウの脳裏には、ソウと同じように赤いパーカーを羽織って眼鏡をかけている一人の青年の姿がありありと描きだされていた。頭の中の彼は悪戯っぽく笑っている。ソウはその笑顔を思い出して「はぁ……」と苦々しそうに溜息ついた。

 ソウは苺味の棒付きキャンディーをいつも最後に残している。大好きな味を楽しみにとっておきたいのだ。しかし、彼が残しておいて実際に苺味のものを口にしたことは殆ど無い。何故なら、誰かに先を越されるからだ。特に赤パーカーの青年――終音オワタには何度も取られている。だから、飴が関わっている時は天敵のような扱いであった。
 何処に隠しても何故か飴を取られていることを思い返した瞬間、ソウは眉間に皺を寄せて心底から悔しそうな顔をした。しかし、手元の飴を見てパッと花開くように笑顔になった。

「じゃ、いただきまーすっと……」
 いそいそと飴を包むビニールに手を伸ばした。しかし、ビニールがベットリとこびり付くように飴に張り付いていて上手く剥がせない。早くなめたい、でもビニールが取れない――ソウの胸に焦燥感が土石流のように押し寄せる。
「ああっ、もう……!」
 焦ってもビニールは取れない、それどころか端が掴めなくなるばかりだ。指から逃げるビニールを掴もうとするが、飴をつつくばかりで上手く掴めない。ソウは苛立ちを覚えた。
「とっておきの苺味なのに!」
 天敵がいないと思ったらビニールが剥がせないなんてなんという不幸か!ソウは込み上げてくる悔しさを感じながら飴のついた棒を固く握りしめた。あまりにも固く握りしめたので、爪が手のひらの肉に食い込んでいだ。しかし、ソウの不運はこれから始まるのであった。

「上手く取れないなあ!」
思うようにビニールを剥がせないソウの両手からは汗がジワジワとふき出している。湿った指では余計に剥がす事が出来ず、端をつまむ事すらできない。
「はぁ……困ったなあ」
ソウはビニールを剥がすことを諦めた……が、飴はしっかり握ったままである。
「誰かに剥がして貰おうかな」
姉のカヤ、なんとなく断らなさそうなイツルや風季、器用そうなタヤ……様々な人物がソウの頭を過ぎるが、彼らに笑われるような気がして気恥ずかしくなった。終音君にだけは渡さない、と心に固く誓ったその時であった。
「うわあああ!!」
何処か少年的な雰囲気を帯びた少女の声がソウの耳を劈いた。
「えっ?」
急な大声に間の抜けた声を発したが最後、ソウの眼前にショートカットの眼鏡をかけた少女――篠原シオリが迫って来ていた。
「ええええええええええ!?」
シオリがソウの上に折り重なる形で倒れ込んだ。
「そ、ソウさん!大丈夫ですか!?」
素早くシオリは起き上がり、「うう……」と呻きながら床に伏せたままのソウを見下ろしてショックを受けた。
「ソウさんごめんなさい!ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
「う、うう……俺なら大丈夫だよ……」
ソウは頭を手でおさえながら上半身をゆっくり起こし、自分の置かれた状況を見た。彼の目の前で座り込んでいるシオリの手には黒いトレーが握られていた。トレーの上には何も無く、ついさっきまで上に載せられていたハート型や星型のクッキーは彼らの周囲に飛び散ってしまっていた。
「ああ……折角作ったのに……」
シオリは泣き出しそうな目をしながら、床に落ちたクッキーを一つ一つ拾い上げた。
「ごめんね、俺のせいで」
ソウも一緒になってクッキーを拾い上げる。
「いいんです、ソウさんが悪いんじゃありませんから」
クッキーを全て拾い上げると、シオリは台所へ行った。その背中は悲しげに沈んでいた。

「さ、さーて!とっておきーの苺あ……じが無い!!」
シオリを見て悲しくなった気持ちを無理やり奮い立たせるように適当なワンフレーズを口ずさんだが、彼の右手に握られていた筈の飴が無くなっていることに気付いた。
「無い!?苺味が無い!?何で!?」
ソウは努めて冷静に飴を無くした原因を考えた。
「あー……シオリちゃんとぶつかった時に落としたんだなー……」
そういえばクッキーを拾っている時には既に無かったかもな、と思いながら自分の周囲をきょろきょろ見渡して飴を探す。しかし、何処に転がったのか全く分からずソウは項垂れた。
「何処行ったんだよもう……」
すると、背後からザラザラと音を立ててゴミを吸いこむ掃除機が迫って来た。
「あ、たよさん」
ソウが名前を呼ぶと、真っ赤なエプロンを身に付けた文車たよは掃除機を動かしながらカラカラと笑った。
「おーソウじゃないか。でっかいゴミかと思ったよ」
冗談だと分かっていたソウは「またなんという冗談を……」と苦笑した。
「ほら、掃除機かけるからどいたどいた!」
「あ、すみません」
たよが手で追い払うようなジェスチャーを見せると、ソウはそそくさと部屋の外へ出た。そして、たよが掃除をするのを見守ることにした。たよは無駄のない動作でスムーズに掃除機をかけている。
しかし、箪笥と床の隙間に掃除機の先端を差し込んだ時にたよの表情が一瞬曇った。
「ん?」
掃除機がガガガガと音を立てていた。
「何か引っかかっているのか?」
たよが箪笥の下から掃除機を引き抜くと、掃除機の口で異物が吸いこまれまいと抗っていた。
「ああ!俺の苺味!!」
棒に刺さった赤いビニールの球体を見るなり、ソウは部屋にすかさず戻った。そして、たよの掃除機の先端から引きはがすように飴を取った。
「よかった見つかって……」
旧友との再会を喜ぶように飴を握りしめた。
「なんだ、ソウのものだったのか。危ないところだったな!」
そう言うなり、たよは豪快に笑った。

「もう、危ないところだった……さーて、今度こそっ」
ソウはベランダに出た。空は真っ青で遠くには真っ白な綿のような積乱雲が見えた。風も心地よく、外に出るには良い日だ。下を覗くと、子どもたちが遊んでいるのが見えた。
風に手をあてながら暫くブラブラと手を振っていると、汗が少しひいたように感じた。またビニールの端に手をかけようとすると、飴がスルリとソウの手から抜け出してしまった。
「うわああああああああああああああああああ!!」
ソウの手から消えた飴は、歪に回りながら落ちて行った。飴が落ちるのを茫然と見ていると、下から元気な声が聞こえてきた。
「プレイボー!」
元気よく言い放ったのは、黄緑色のキャスケットとオーバーオールを身に付けた少女――りょくもだった。彼女は普通のボールよりも大きいであろう緑色の球体を力強く投げた。緑色の球体は速度を伴って飛んでいる。
野球にしてはそれは大きすぎる、とソウが白くなった頭の中でぼんやりと考えていると緑色の球体に棒のような手足が生えているのが見えた。
「ええ!?」
緑色の球体もとい操六は「うわあああああ」と悲鳴を上げていた。
「お、お兄さん!?」
ソウはベランダの手すりに飛びついて下を見た。
「行くぞサヨナラ満塁ホームラン!」
緑色の球体を迎え撃つように立っていたのは珠ノ歌キオであった。赤いストレートのロングヘアーの上にはトレードマークのおたま帽子が無く、代わりにバットのように尾ひれを両手で掴まれていた。
キオが力いっぱいおたま帽子を振るとベチンと鈍い音を立て、ボールとして投げられた操六は明後日の方向へ綺麗な放物線を描いて飛んで行った。
「な、なんちゅう遊びをしているのあの子達は……」
泣きながら飛んでいく操六を眺めていると、操六から分裂するかのように小さな物体が歪な放物線を描いて落ちるように飛んでいくのが見えた。小さな赤い球体に白い棒が付いているような格好である。
「あっ、あれは!!」
そう、それはベランダから落ちていった筈の飴だった。ちょうどりょくもに投げられた操六がクッションになる形でくっついていたのであろう。ソウは飴を認めると、手すりから手を離して家の中へ引き返し、急いでドアを開けて家の外へ飛び出した。

「あの子たちなんという恐ろしいスポーツをしてるのさ!」
ソウは全速力で飴を追いかけた。飴はソウに捕まるまいと逃げるように歪な放物線を描きながら落ちていく。走っても走っても飴には追いつけず、馬の鼻先にぶら下げられた人参のように遠ざかるばかりだ。そして、夢中で走っているうちに家の前から公園にたどり着いた時、飴は公園のベンチに座っていた足の生えたキャベツこと甘藍の頭(キャベツの頂と言った方が適切かもしれない)に落ちた。
「痛ッ!」
手を持たぬ甘藍は足をバタバタさせて、隣に座っている白衣を着た人間――桜井に痛みを訴える。
「どうか、しましたか……?」
消え入りそうな程にか細く問いかけた声は甘藍と同じ声であった。
「僕の頭に何かあたったの!」
「そう……葉は損傷していないので大丈夫、みたいですね」
桜井は甘藍の足元に転がる飴に目を留めた。
「……ああ、これが」
無感動に呟いてそれを手に取ると、持ち主が息を切らせてベンチの3メートル前のところまでヨタヨタと歩いてきた。額や首には汗の玉が浮いている。
「すみません、それ……俺の飴です……」
ゼエハア言いながらソウは右手を差し出した。
「そうですか、貴方のものでしたか」
そう問いかける声は淡々としていて、感情を読み取る事が出来ない。
「はい」
ソウが答えると、桜井は無言で飴を投げ放った。おもむろに振られた腕から放たれた飴は矢の如くソウの額目がけて飛んできた。
「ぎゃっ」
飴はコンと音を立ててソウの額に衝突した。骨を打つ痛みに襲われ、その場に蹲る。
「いったー……桜井さん何するんですか!」
涙目になりながらソウは視線を上げた。しかし、目の前のベンチにはもうキャベツと科学者の姿は無かった。ソウは「なんだよ……」と呟きながら、飴を拾い上げた。

「ああもう、災難だな……」
ソウは肩を落としながら家へ戻った。急に全速力で駆け抜けたからか、足が痛みと熱を持っているのを感じた。
ドアを開けると、凛々しい顔に伊達眼鏡をかけた女性――鳴海イツルが玄関に立っていた。
「おかえり」
「た、ただいま……」
ソウが靴を脱ぎ、玄関に上がるとイツルに飴を差し出した。
「イツルさん……この飴、ビニール取れない?」
「ああ」
事も無げに頷くと、イツルはソウから飴を受け取ってビニールの端をつまんだ。ビニールはベリベリと音を立てて飴から引き剥がされた。ビニールの下の飴は鮮やかなピンク色をしている。
「ほら、取れたよ」
あっさり手渡され、ソウは一瞬目を点にして「どうも」と恐れ多そうに飴を受け取った。
「このビニール取れなかったの?」
「え、ええ、恥ずかしながら」
顔を赤くして答えると、イツルはクスリと悪戯っぽく笑った。ソウは「やっぱり笑われた……」と思った。
「へえ、それは大変なことで」
「ああ、大変だったよ」
ソウはむくれてみせた。イツルは「そうかい」とだけ言って、ドアを開けて何処かへ行ってしまった。

「本当に大変だったな……」
それはビニールが取れなかった事か、飴を見えないところへ落とした事か、それとも飴を追いかけた事なのか。
ソウが飴を口に入れて軽く舐めると、苺の甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。
「やっぱり苺味はとっておきだ」
蕩けるような笑顔で呟いて、苺味の飴を愛でるように、味を噛みしめるように舐めた。


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