午前11時。家のチャイムが来客を伝えた。
あの人が来た! 結菜はテレビの電源を落として玄関へ向かう。
これでもし宅急便のお兄さんだったら、という杞憂は無用だった。ドアの前で立つ影ですぐにわかる。
いつも持ってきてくれるお菓子を想像するのも楽しみのひとつだ。
「急に呼び出しちゃってごめんね!」
反省しているのか疑わしいくらい満面の笑みを浮かべていたので怒る気が起きなかった。
今朝、日が上らないうちに電話をかけてきて一方的に約束を取り付けられたのである。
約束自体は暇があったので構わないのだが、なぜあの時間によりによって電話をかけてくるのか。
「あのさ結菜」「ねぇねぇ、今日のお菓子は?」
小言の1つや2つ並べてやろうと思ったのに、どうもペースを乱される。
仕方なしにビニール袋を渡すと彼女は即座にそれを受け取ってリビングへ行ってしまった。
「今日はどうしたの」
かすかに残る寝癖を気にしながら問うと、結菜はイツルが持ってきたクッキーと紅茶が並べられたローテーブルに厚いカタログを出した。
最近よくテレビで見かける人が笑顔でポーズを決めている。言われなくてもファッションの何かだと分かる表紙だ。
イツルが流行りと洋服に疎いことは知っているはずなのに。溜息をのみこむように甘ったるい紅茶をすすった。
「お買い物しよう!」
新しい洋服が欲しいと以前口走っていたのを思い出す。
試しに数ページめくってみたが、目の前の洋服の写真の群れが頭の中で像を結んだそばから滑るように流れていく。
根本的に興味がないんだなあ、としみじみ思いながら前髪をかきやっていると、
結菜は目の前で一人楽しそうにあれがかわいい、こういうのが好き、とひとりごちていた。
本来ならもう少し掘り下げられるのかもしれないが、彼女の口から出てくる言葉と現物のイメージがまったく繋がっていないがためにそうだね、いいんじゃないぐらいの相槌しかできない。
付き合ってやれなくてごめん、私じゃ役不足だ。
「イツルンはこういう服着ないの?」
急に話題を変えられて一瞬怯んだ。たとえばと白い指があっちこっちと紙の上で踊る。その軌跡を追うとすでにページの端が折られていたり、マーカーで大きく丸をつけてあった。
イツルが唸ると「絶対似合うのに」と悪戯っぽく笑う結菜。
緊張してがに股気味に歩くワンピース姿の自分を想像したら笑いをこらえられなかった。
「着ないよ。よくわかんないし、そういうの」
つまらなさそうにむくれる彼女の横顔を眺める。
「私の分まで着てよ。ふわふわできらきらの服」
そして指差す、淡い桃色のワンピース。結菜がちらとこちらを見たような気がした。
「イツルンったら、やだあ」
急に体をくねらせはじめ、やたらにやついている結菜を見てある結論に思い至った。嫌な予感がする。
「そんなことならちゃんとしたの穿いてきたのに!」
イツルの手をがっちり掴んで自室に引き込もうとする結菜を慌てて引き留めたのは言うまでもない。
その代わりとして、次の休みに洋服屋のバーゲンに付き合わされることになったというのはまた別の話である。